大手通の歴史 前期

長岡空襲や自然災害など幾多の困難を
人々の知恵と力で乗り越えてきました。


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大正6年長岡駅開府300年際の当時駅前風景
大正6年長岡駅開府300年際の当時駅前風景
戦時中経済統制時のフジヤマ果実店販売風景
戦時中経済統制時のフジヤマ果実店販売風景
昭和25年大手通アーケードの賑やかな人通り
昭和25年大手通アーケードの賑やかな人通り
昭和26年長岡祭り、大手2丁目(当事の丸大)
昭和26年長岡まつり、大手2丁目(当時の丸大)
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年表

明治31年 北越鉄道全通。長岡駅完成
明治39年 長岡花火大会が始まる
※花火大会の起源は江戸時代の天保11年に打ち上げられた祝砲
大正4年 栃尾鉄道開通(栃尾―下長岡間)
大正11年 大手通で五・十市が開かれる
大正13年 停車場通りを歩道と車道に分け
大幅な道路改修工事を行う
大正14年 宝田石油跡地(厚生会館の隣)が宝田公園になる
大正15年 長岡市公会堂完成
昭和2年 大手通で月6回市場開設
昭和4年 長岡城址の碑建立
昭和20年 全市大空襲を受ける
昭和21年 戦災復興際が行われる
翌年、長岡花火大会復活
※昭和26年 現在の長岡まつりという名称に変更
同年 市役所庁舎竣工
※現在の大和長岡店の場所
昭和24年 五・十の市、坂之上町・殿町に復活
同年 協和銀行長岡支店開店
(現りそな銀行)
昭和26年 平和像を長岡駅前に建立
※昭和49年に移転


終戦直後大手通ヤミ市
終戦直後大手通ヤミ市
五・十市の歴史

大正11年に長岡市農会が中心となって、坂ノ上二丁目を中心に毎月5と10の日に闇市が開かれました。戦時中は、一時中止となりましたが、昭和24年に坂之上町、殿街に復活。現在もなお、その流れを農家の方々引継ぎ、自分たちの畑でとれた野菜などを中心に販売しています。

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