昔、停車場通りと呼ばれていた大手通。
この通りは長岡の歴史をたどってきました。
停車場通り(現大手通)は旧長岡城址の中心部にあたり明治維新後、道路整備や商業施設が進出、長岡の中心地となった。
大正13年頃には県が約40万円を投じて幅10間(約18m)の直線道路にし歩道と車道を分け大幅に改修工事を行う。
その後停車場通りには、市役所・公会堂・商工会議所・警察署
長岡貯蓄銀行等の公共施設が建ち並び文字通り長岡のメインストリートとなり、今の大手通の原型ができた。
大正15年には、長岡市公会堂が完成し、同年長岡駅舎も改築。
当時、停車場通りは7つの街で形成されており、通称・大通りと呼んでいた。しかし、その昔長岡城の本丸(現長岡駅)に通じる城門を大手門と呼んでいた事から、市民の間で大通りを大手通と呼ぶようになったのが始まりと言われている。
現在でも、大手通の名称は主要地方道「県道36号線長岡停車場線」となっている。